11.


「私は銀河帝国軍上級大将、ウォルフガング・ミッターマイヤーである。 卿らの首都ハイネセンの上空は、すでに我が軍の制圧下にある」
 ハイネセンポリス上空に遊弋する帝国軍戦艦の一隻から放たれた通信波は、軍用・民間を問わずあらゆる周波帯に介入し、ミッターマイヤーの恫喝が響き渡った。
 市民は驚きと不安の顔で空を見上げ、建物の中から飛び出してきた人々から恫喝の内容を聞くと、口々に叫び始めた。
「どうなってるんだ! ヤン提督は敗北したのか!?」
「違う、ヤン提督を宇宙に引きつけておいて別働隊で攻撃にきたんだ」
「やはり専制国家は卑怯なことをしやがる!」
 だがいくら叫んだところで、その言葉が届くわけもない。 叫びは間もなく部分的なパニックと化し、逃げまどう市民により各所で混乱が起こっていた。
 かつて防空の要であった 《アルテミスの首飾り》 は2年前のクーデターで失われ、頼みの綱である軍用艦艇も大半をバーミリオンに向かわせた今、首都上空を守るものは残されていなかった。 かろうじて圏内ロケット機が飛び交い、郊外の迎撃ミサイル網が発射準備に入り始めた。
 だが、これらが上空を覆い尽くす宇宙艦隊に対して蟷螂の斧にもなりえないことは、誰の目にも明らかだった。 それでも行動を起こせば、何ら効果を与えられないまま反撃を受け、現世からの不本意な強制退去を強いられるであろう。
 そんな結果を望むパイロットやオペレータ達は一人もいない。 彼らはボタンに指をかけつつ、行動命令が来ないことをひたすら祈り続けていた。
 もし仮に、この時ハイネセン上空に 《アルテミスの首飾り》 が残されていたらどうなっていたであろうか − 後世の歴史家が好んで用いる命題の一つである。 すでに過去の戦いでヤン・ウェンリーが亜光速にまで加速した氷塊をぶつけ、ジークフリード・キルヒアイスがゼッフル粒子によって破壊したという史実から見ても、おそらく 《帝国の双璧》 に対しても鉄壁の防御とはなり得なかったであろう、というのが通説となっている。 さらにはこの他にも、ブラックホール兵器の応用、コンピュータウイルスによる無効化など、対抗策のアイデアが同時代の戦術家によっていくつも示されている。 結局こうした防空システムに限らず、100%完璧なハードウェアなどというものは存在しない、ということは正に歴史が証明するところであるが……
 しかし、宇宙暦799年5月5日は、銀河帝国にとっても自由惑星同盟にとっても、あまりにも激しく、あまりにも長い一日であった。 そんな中で、たった一つの小さな変化、ほんの一時間のずれが、大きな変化を生み出さなかったと断言できる者は、少なくとも現世には存在しないのである。


「私は自由惑星同盟政府に対して、全面講和を要求する……」 ミッターマイヤーの恫喝は、首都を包み込んで圧殺するかのような威圧感を与えていた。 「ただちにすべての軍事活動を停止し、武装を解除せよ。 しからざれば、首都星ハイネセンに対して無差別攻撃を加えるであろう。 返答までに三時間の猶予を与えるが……その前に、一つ余興を見せてやろう」
 その言葉から間もなく、上空の帝国軍戦艦から、一発のミサイルが地上めがけて放たれた。
 次の瞬間、中心地から離れた郊外の高台にあり、市街地を睥睨し続けていた統合作戦本部ビルは、突如発生した爆発の光球に呑み込まれた。 破壊エネルギーが地上部を一瞬に消し去り、地下の階層をも破壊し尽くした。 爆風は周囲の迎撃システムを粉砕し、シャトルとその格納庫を焼き払った。 誘爆によって火柱が立ちのぼり、遠くアーレ・ハイネセンの巨大な像までも赤く染め上げた。
 このミサイルを放った 《ベイオウルフ》 艦橋では、その時ウォルフガング・ミッターマイヤーとヒルデガルド・フォン・マリーンドルフとの間で、以下のような会話が交わされたという。

「これでいいでしょう。 権力者というものは一般市民の家が炎上したところで眉一つ動かしませんが、政府関係の建物が破壊されると血の気を失うものですから」
「市民にはできるだけ害を及ぼしたくないとお考えですのね」
「まあ私も平民の出ですから……」

 この会話がどうやって正史に留められることとなったかは定かではないが、新帝国黎明期を支えた最重要人物の一人、ウォルフガング・ミッターマイヤーの人となりを表すものとして、好んで紹介される。 多くの権力者の姿勢などというものはいつの世、どの国家でも変わらず、そうした輩に対する痛烈な皮肉として、後々まで広く伝えられた名言の一つでもある。
 だが、同じ言葉を誰もが同じように受け止めるとは限らないのも事実である。
 これから十年近く後、フェザーン近傍の通常航行区域で民間船を乗っ取った犯人が、ミッターマイヤーへの面会を求めるという事件が発生している。 事件そのものはその区域を管轄していた帝国警備隊の独断で事実上もみ消されるが、間もなく旧同盟のジャーナリストが真相を暴露した。
 それによれば、犯人の親族が宇宙暦799年5月5日、統合作戦本部内で死亡していた。 原因は言うまでもなく、 《ベイオウルフ》 より放たれた極低周波ミサイルであった。
 ただしその親族は民間人であり、この会話に対し 「市民に害を及ぼしたくないなどという偽善への謝罪を要求する」 という犯人の遺書が遺されていたのだという。 そしてこのジャーナリストは、当時統合作戦本部に居合わせて死亡または行方不明とされた民間人 − 事務員や売店の店員、食堂関係者、通りがかりの車の運転手まで挙げて 「追悼の意」 を表した。
 この記事は事件の経緯については淡々と記しただけだったが、新帝国側は非公式に不快感を表し、一方の旧同盟市民からは犯人に対する同情と共感の声が上がった。
 さらには新帝国の要人が 「戦時中のことだ、仕方あるまい」 と発言し、これに対して旧同盟の著名人が大々的な批判を繰り広げている。 なお、前者はフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトであり、後者はダスティ・アッテンボローで、二人の間で戦時中もかくやという舌戦が繰り広げられた、というのは恐らく後世の創作だと言われている。
 いずれにせよ、この会話が十年近く後になって 「帝国宰相謝罪事件」 というささやかな波紋を生じさせることになるなど、発言者すら予想し得ないことであった。