12.


 帝国軍ミッターマイヤー上級大将の恫喝より3時間後。 自由惑星同盟は − より正確にはヨブ・トリューニヒト最高評議会議長は、無条件降伏を受諾する。
 その3日前、バーミリオン星系では、チャロウォンク少将の突撃部隊が 《ブリュンヒルト》 に肉迫しつつも、帝国軍ミュラー艦隊の来援によって同盟軍は勝利を阻まれていた。 だが、この来援でもヤンの優勢は覆されなかった。 モートン中将をはじめおびただしい犠牲と引き換えではあったが、新たな戦線を構築し、5月5日には再びラインハルトを追いつめつつあったのである。
 同盟政府が降伏したその瞬間。 戦場では、同盟軍が 《ブリュンヒルト》 を再び射程に捉え、今まさにラインハルトを討ち取る寸前であった。
 だが……。 5月5日22時40分、本国より無条件停戦命令を受けたヤン・ウェンリーは、兵を引くという決断を下す。 戦場では同盟軍が勝利をもぎ取ろうと手をかけていた正にその瞬間であったにも関わらず、大局としては帝国軍の勝利に終わったことは、正史にも記されているとおりである。


 この戦いの勝者が帝国と同盟いずれであったか、と問うならば、結果的に帝国の勝利であったことは疑う余地はない。 だが、ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムのいずれが勝者であったか、そしてヤン・ウェンリーの最後の決断が是であったか否か、と問うならば、万人を納得させうるような解答を提示できる者は存在しない。
 ヤン・ウェンリーの決断を是とする者は、民主主義国家における軍隊の有り様はかくあるべしといった論調で、ヤンの決断を賞揚しようとする。 軍人が己の判断で政治的決断を下した結果、災いをもたらした例は、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの例を出すまでもなく、歴史上枚挙にいとまがない、と力説する。
 一方、ヤン・ウェンリーの決断を否とする者もやはり多い。 ヤン・ウェンリーの決断を是とできるのは、相手があくまでラインハルト・フォン・ローエングラムだったからに過ぎない。 ヤンの決断に普遍的な意味での正しさは存在しない、と彼らは主張する。
 彼らは問う。 もしも、敵手がラインハルトではなく、ヴェスターラントの殺戮を平然と行ったブラウンシュバイク公や、あるいは旧暦二十世紀最大の殺戮者と伝えられるアドルフ・ヒトラーであったとしたら? 彼らを打倒する一歩手前で兵を引いたとしても、果たして是とできるだろうか?
 結局のところ、この問題はヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムという極めて特異で拮抗した二個人であったからこそ生じる問題であり、何らかの一般論を導き出すことは困難で無意味である、とする意見も強い。
 しかしすべての歴史は膨大な偶然の積み重ねによって形作られ、二度と同じ場面はありえない、極めて特異的なものであるということを考えれば、すべての歴史的事件がそうである、ということも可能なのだが……。


 そしてまた、同盟軍が手中に収めようとして得られなかった勝利へと至る道は、決して平坦なものではなかった。 道はおろか足場すらない険しい壁を乗り越え、想像を絶する膨大な犠牲を払って、ようやく眼前に現れた勝利 − その勝利へとたどり着けなかった同盟軍の境遇は、あらゆる時代の人々の同情を誘ってやまない。
 帝国当局は同盟市民の歓心を少しでも得るため、そして同盟政府はある種の自虐的な諦めから、停戦に至るいきさつは極めて早い時期から公開され、市民の知るところとなった。
 市民の怒りはもっぱら独断に近い状態で降伏を決めたヨブ・トリューニヒト個人に向けられたが、その他の政治家、軍人たちに対しても、多くの人々が複雑な心境にあったことも確かであった。
 5月25日、ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長とパウル・フォン・オーベルシュタイン総参謀長が握手し、バーラトの和約が締結される。 同盟中の市民はその光景を様々な表情で見守った。
 退院を間近に控えたホリタも、その様子を病院のロビーで見上げていた。
「私……私には分かりません」
 傍らでミリアム・ラスキーが悲しげに首を振る。
「みんな色んなことを言ってますけど……ヤン元帥の決断が正しかったのかどうか……私なんかが考えても仕方ないことですけど……」
「そんなことはない。 皆が、自分の頭で、考えなくちゃならないことなんだよ」
「でも……」 彼女はいったん言葉を切り、視線を宙へ漂わせた。 「でも、それじゃチャロウォンク閣下や、あんなに大勢の人たちの犠牲は、いったい何のための犠牲だったのかって……」
 ……おそらく、多くの人々が同じように考えるだろう。 ホリタ自身もそう感じ、それを認めた上で、他の考え方を必死で探し求めている。 もちろん、ヤン元帥の決断によりハイネセンへの無差別攻撃が回避された、という視点から支持する声もある。 仮にヤン元帥が停戦しなかった場合、果たして本当に無差別攻撃がなされていただろうか、という声もあるが、その答えは誰にも分からない。 おそらく 「帝国軍の双璧」 自身も含めて……。
 おそらく正解などないのだろう。 誰もが満足できる考え方など、存在しないのだろう。 それでもなお、考え続けねばならないのだろう。
 あまりにも膨大な犠牲……民主主義と軍隊との本質的な矛盾……アーレ・ハイネセンの唱えた 「自由、自主、自立、自尊」 の精神……すべてを整合させ、万人を納得させることなど、少なくとも人間には不可能なのかも知れない。
 ミリアムはラムビス方面行きの当面は最後となる便で、故郷に帰ることを決めたという。
 彼女の向かう先に、どのような道があるのか、そして彼女自身がどんな道を選ぶのか − 無論ホリタにもうかがい知ることは出来ない。 ただ、必要以上に過去や国家にとらわれることなく、後悔しない − 出来るだけ少ない道を歩んでほしかった。
 ひるがえって、この自分は……。
 長い間、軍人に向いているかどうかすら自信のないままずるずると時を過ごし……気がつけば、大勢の知己がバーミリオンで散る一方、自分は生き残って敗戦国の軍人という立場になってしまった。
 自由惑星同盟の歴史は、事実上終わった。 和約によれば一応の形式的独立は認められるらしいが、同盟がかつての力を取り戻すことは、まずあるまい。 一方の帝国では、ついにラインハルト・フォン・ローエングラムが戴冠し、新たな王朝が幕を開けることとなった。
 宇宙暦799年。
 歴史の激流はついに大国間の壁を決壊させ、自由惑星同盟を呑み込んだ。 そしてその濁流は、すべてを抱いたまま未知の大洋へと流れ込んだのである。 人類社会は、未知という霧で覆われた、まったく新しい大洋へと漕ぎ出すこととなったのだ。
 だが、それでも。
 国家の歴史がどうなろうと、個人の 「歴史」 は続いていく。 国家や組織に翻弄されながら、それでもなお、その中で人々は生きていく。 130億同盟市民一人一人の、 「人生」 という名の歴史は、これからも続いていく −。


     第6部 完