2.帝国領進攻

 戦艦《メムノーン》。
 宇宙暦781年以降順次就役している、アキレウス級宇宙戦艦の1隻。全長 1159メートルの巨艦だ。
 《メムノーン》は791年に進宙して以来5年間、第一辺境星域分艦隊の旗艦を勤めてきた。それはそのまま、ホリタの経歴でもある。
 イゼルローンが我が軍の手に落ち、おそらく辺境の守りの重要度は以前より下がると考えたのだろう。各辺境星域分艦隊に属する戦力の半数近くが、今度の出征に動員される。第一辺境星域分艦隊からは、旗艦《メムノーン》をはじめ 1200隻が第10艦隊に編入されることとなった。
 アキレウス級は最初から主力艦隊の旗艦として設計されたもので、その管制能力は3万隻を指揮するに足る。《メムノーン》もそれに近い潜在能力を有しており、今回、第10艦隊の一翼を担う、分艦隊としての役割を期待されている。今回の作戦で初めて、《メムノーン》もまたアキレウス級としての能力にふさわしい活躍の舞台を与えられるのだ。
 アキレウス級……! このクラス名を考えると、ホリタは皮肉を感じざるを得ない。
 同盟の主力艦は、多くが古代の神話にちなんで名付けられている。中でもギリシア神話が多いのは、帝国の連中が傾倒するゲルマン神話に比べると、ギリシア神話の方が神々の序列が少なく、人間くさいからだという。しかしそれでも神は神なのだから、大した違いはなかろうに、と思うのだが。
 どうせなら「やおよろずの神」の名前を付けていけば800万隻ぶんある、と軽口を叩いたこともあるが、それを知らない官僚たちに丁重に無視された。大体、「やおよろすの神」の名前も、現代にはそんなに伝わっていない。
 アキレウスは言うまでもなく、古代地球のギリシア神話に語られる、トロイア戦争で活躍するギリシア軍最高の武将だ。
 一方、メムノーンもまた、同じくトロイア戦争に登場する武将の名である。ただし、トロイア側の。つまりアキレウスとメムノーンは敵同士なのだ。メムノーンはギリシア軍と熾烈な戦いを繰り広げ、ついにアキレウス軍に倒されてしまう。
 メムノーンにとり、アキレウスは仇敵だ。そのアキレウス級の一隻に、メムノーンが名を連ねているのだ……。
 メムノーンは曙の女神エーオースの息子で、メムノーンの戦死に母エーオースが流した涙が、早朝の草の葉にできる雫となったのだという。
 ちなみに、アキレウスはトロイアの武将ヘクトルを惨殺してその身体を戦車で引きずり回し、さらに女武将ペンテシレイアを倒している。ヘクトル惨殺に至った原因は、ヘクトルがアキレウスの親友パトロクロスを倒したからであった。
 ご存知と思うが、戦艦《ヘクトル》はウィレム・ホーランド中将の第11艦隊旗艦であったが、昨年の第3次ティアマト会戦で失われた。《ペンテシレイア》は第4辺境星域分艦隊旗艦だが、今回の作戦では第7艦隊に編入される。そして《パトロクロス》は第2艦隊旗艦であり、例のアスターテ会戦でヤン准将が活躍した艦だ。
 嗚呼、遙かなる地球、今や遠く帝国領の彼方にあって近づくことすら出来ない人類の故郷で生まれた伝説よ!
 古代の伝説はなぜ、かくも血に彩られ、神々さえも殺し合うのか!? そう、現代の我々のように!

「おや、あれは……」
 背後でエルナンデス少佐の声が聞こえた。彼は側面にあるサブスクリーンの一枚を見つめている。
 そこにはイゼルローン要塞の表面がとらえられていた。流体金属の表面を割って、今まさに2隻の宇宙艦が飛び立ったところだ。
 一隻は濃緑色の同盟軍標準戦艦。そしてもう一隻は青灰色に塗られた、明らかに帝国艦であった。それが仲良く並んで上昇しつつある。
「あれはテスト中なんだそうです」ベティ・イーランド中尉が書類を見ながら答えた。
「ははあ、要塞内でろ獲した敵艦の……」
「それもあるが、ちょっと違うね」ホリタが口を挟んだ。
「我が軍の宇宙艦は知っての通り、宇宙航行専用で大気圏内を航行するようには出来ていない。帝国の艦は領民を威圧するため、大気圏航行もできるらしいが。
 ところがイゼルローンは見ての通り、大気よりさらに高密度の流体金属で覆われている。だから、我々の艦が流体金属層を航行するときどういう問題があるか、改良した艦を捕獲した帝国艦と一緒にテストしてるんだそうだ」
「ははあ……それで我々は要塞内に入らなかったのでありますか」エルナンデス少佐の勝手な得心に、ホリタは苦笑を浮かべた。
「というより、いくらなんでも8個艦隊が入港するほどのキャパシティを要塞が持ってないだけのことだろうよ。第13艦隊は普段からしょっちゅう出入りしている。それに何と言っても、我が艦隊は先陣だからな」
 今回の作戦で、ウランフ中将率いる第10艦隊は先陣と決まった。真っ先に帝国領へ進攻する栄誉を得たのだ……と主戦論者はいうかも知れないが、そういう輩に限って、自分からは先陣を切らないものだ。
 《メムノーン》麾下の 1200隻はイゼルローン要塞の脇を通過し、先に帝国側出口に集結していた第10艦隊と合流した。
 第10艦隊旗艦《盤古》の勇姿をメインスクリーンに認め、決して主戦論者ではないホリタでさえ、かすかな高揚を感じていた。
 だが、ホリタの頭からはウランフ中将の曇った表情が離れない。
 今回の出征は、次の選挙までに人気を回復したい政治屋と、出世欲に固まった一部軍人がねじ込んだものだというのだ。
「イゼルローン要塞を手中に収めて、お偉方は有頂天になってしまったのだ。かくも勝利とはたやすいものだ、と勘違いしてしまったのだな。次も勝てる、と勝手に信じ込んでしまったのだ……」
 今回の進攻作戦に動員される兵力は、同盟全軍の6割。艦艇20万隻、将兵3000万人。同盟の総人口130億人の、実に0.23%に達する! それだけの人間の運命が、一部の政治屋や軍人に左右されているのだ。
 自由惑星同盟の自由とは、いったい何なのか……。
 もちろん将兵の士気に関わるので、下手に口には出来ない。あくまで幼なじみとして、ウランフは会議の様子などを伝えてくれたのだが……。
 宇宙暦796年8月末。第10艦隊の前には、未知の帝国領が広がっていた。


          

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