3.


 同盟との激烈な恒星間戦争が終結して後の時代。 大勢の復員兵が新たな惑星を求め、帝国中を開拓し始めた。 戦争に注がれていた膨大な物資や人材が振り向けられ、そのエネルギーは帝国の辺境域へ、そしてやがては銀河深遠部にさえも及んでいった。
 そんな折り、戦後イゼルローン回廊の重要度が減少し、辺境の一つとなりつつあった星域で、一つの発見があった。 永らく辺境伯によって治められてきた、とある星系の第4惑星リューゲン。 その内側を巡る無名の第3惑星で、初期の生態系が生まれつつあることが発見されたのである。
 戦後一定期間を過ぎて公開された様々な公的記録、激動の時代を生きた人々が記した多くの文献が調査された。 そして関係者たちがさしたる期待もせず手にした旧同盟側の文献 − その一つに、リューゲンの内側を巡る第3惑星に関する記述が見出された。
 その文献の名は 「革命戦争の回想」、著者はダスティ・アッテンボローといった。
 文献によれば、著者アッテンボローはアムリッツァ会戦当時、ウランフ提督率いる自由惑星同盟軍第10艦隊の准将として、このリューゲンに赴いていたという。 そして、同じ艦隊に所属していたホリタ少将の戦艦 《メムノーン》 率いる500隻が、第3惑星をこの宙域の人々の未来の居住地とするため、惑星改造のほんの第一歩を施した、という簡単な記述を発見したのである。
 しかしその地にあった同盟軍は間もなく撤退のやむなきに至り、惑星改造はほとんど進展しなかったのだが −
 銀河連邦時代に惑星改造のごく初歩的な基礎が築かれ、さらに 《メムノーン》 率いる部隊がわずかでも手がけた処置は、決して無駄にはならなかった。 新帝国暦30年代より本格的な改造が始まると、それまで眠っていた種子が大きく花開くように、環境改善は急速に進んでいったのである。
 そんな中での 《メムノーン》 発見の報であった。
 惑星改造が同盟軍第10艦隊によるものであるとの史実が確認された時、旧同盟側では一種のローカルニュース程度の扱いでしかなかった。 だが、惑星リューゲンが 《メムノーン》 引き取りに立候補し、その理由が知られるようになると、 《メムノーン》 が手がけた惑星改造の逸話もまた大きく取り上げられることとなったのである。
 《メムノーン》 発見の報は、戦後しばらくしてから台頭しだした同盟復興派を活気づけるかに見えた。 だが、たとえ軍用艦であっても、戦争ではない惑星改造という功績が大きく報じられると、必要以上に先鋭化しがちな復興派の矛先を丸める効果をもたらした。 その代わり、やがて別の効果が現れ始める。
 半世紀前まで戦争に注がれていたエネルギーが投入されることによって現出した、旧帝国領における開拓ブームは、すでに一段落しつつあった。 が、《メムノーン》 発見と惑星改造の逸話は、今度は旧同盟領での開拓ブームを生み出すきっかけの一つとなったのである。
 「旧世界はカイザーのもとへ、我々は新世界へ」 − むろん表だって口にされることはなかったが、ラインハルト以来の善政を受け継ぐローエングラム王朝に矛先を向けるほどの理由を見いだせず、さりとて過ぎ去った時代をも忘れ得ぬ同盟復興派は、視線を 「新世界」 へと向けたのだ。 その動きはやがて旧同盟各地の市民やフェザーン独立商人をも巻き込み、うねりとなって同盟辺境から溢れていった。
 貴族政治と衆愚政治に彩られた暗黒時代が偉大なる英雄たちによって終わりを告げ、その英雄たちが駆け抜けた伝説の時代もまた過去のものとなった時代 − 無名の人々こそが主役となり、新たな新天地を切り開いていく時代の到来であった。
 その無名の人々の中から、やがてはまた新たな英雄が誕生するのかも知れない。 だがその時代を生きる人々にとっては、仲間とともに新天地を目指す現在こそがすべてであり、新たな英雄の物語を紡ぐ作業は、後世の歴史家に委ねられるはずであった。
 それ以前の旧帝国領開拓ブームと合わせたこの一世紀は、銀河連邦開闢当時の大膨張時代、アーレ・ハイネセンによる長征一万光年に続く、第三の飛翔となる可能性を秘めた時代の幕開けであった。


 その一方、すべての人々が 「新世界」 へ目を向けていたわけではなく、 「旧世界」 で新たな時代と向き合っていく人々も多かった。 いやむしろ、それが人類の大半であった。 当然のことながら帝国・同盟いずれにせよ 「旧世界」 にとどまる人々の方が絶対的大多数であったのだから。
 だが、いつの世でも戦争による人心の傷はたかだか数十年で消えるものではなく、当事者とその子孫に莫大な負担を強いる。 アムリッツァ会戦に先だってラインハルト・フォン・ローエングラムのとった焦土戦術は、帝国領の人々とそこに進駐した同盟軍との間に、深刻な対立を生じせしめた。 またその2年後、ラインハルトは自由惑星同盟を皇帝誘拐の共犯者に仕立て上げることで、門閥貴族への憎悪を同盟にも向けさせるという戦略をとっている。 こうした様々な作戦は、戦後の帝国と旧同盟の民間レベルでの交流にさえ、永らく暗い影を落とす一因となっていた。
 無論それはラインハルト・フォン・ローエングラムただ一人の責任ではなく、それまでの160年間に虚実様々な情報によって敵国に対する憎悪を煽り立てた、両国の歴代為政者すべての責任でもあるのは間違いない。
 戦争によって生じた憎しみ、心の深い傷を癒すには、気の遠くなるような努力を要する。 時には時流を見極めることも出来ない為政者の愚かな失言や安易な行動により、容易に数十年も後戻りしてしまうことは歴史が証明しているが −
 歴史の激流の中で忘れ去られていた同盟軍による惑星改造の逸話は、今なお続く歴史的遺恨の大河に、かすかな架け橋となる希望を芽生えさせていた。
 戦いの傷跡ではない、もっと建設的なものを残したい……人々は同盟末期の英雄、ウランフ提督とその部隊の見識を讃え、惑星リューゲンとウランフ提督の故郷の惑星との間に、ほんのささやかな民間交流の芽が育ちつつあった。
 時のバーラト星系自治政府代表は、旧同盟と帝国との民間レベルにおける融和の証として、 《メムノーン》 をリューゲンへ送ることを積極的に提案したほどであった。
 だが、推進力を持たない巨体をイゼルローン回廊内を通過させるには安全性に問題が残り、さりとてフェザーン回廊を通すにはその遠大な距離からコストがかかりすぎるということで、最終的にリューゲンは 《メムノーン》 引き取りから降りることになる。しかしこの立候補は 《メムノーン》 に関わる様々な史実を掘り起こし、またそれまではほそぼそと行われてきたささやかな民間交流を押し広げるきっかけともなった。
 そして新帝国暦125年、ようやく第一次入植が開始された時。
 第3惑星はメムノーンと名付けられるのである。