まっすぐ天へ
 −ロケットと並ぶ宇宙への「架け橋」 −

 舞台は2003年というから、まさしく現代。 JASDA (日本宇宙開発局) に勤める飛騨翔一と、鹿浜建設に勤める飛騨建二の兄弟が主人公である。
 米レフテクス社の商業人工衛星を搭載した純国産ロケット打ち上げから物語は始まる。 が、上昇するロケットは翔一の目の前で爆散した。
 ここまでは近い話が現実にもあったな〜、と思っていると、なんとスペースシャトル 《フロンティア》 がスペース・デブリ (宇宙ゴミ) によってとんでもない事故に遭遇する。 最近のSFではスペースシャトルが次々といろんな事故や危機に出会うけど、こいつは最悪でないかな?
 そして、NASAはついに 「2005年以降の有人宇宙飛行計画の全てを無期限で凍結」。 スペース・デブリの脅威により、人類は宇宙からの撤退を余儀なくされつつあった。
 東京で開かれる国際デブリ対策会議を前に、翔一たちは有志でデブリ対策を話し合う。 アイデアの一つに 「軌道エレベータ」 も登場するが、既知の素材では実現不可能であった。
 一方、弟の建二は自分の勤め先で画期的な新素材が開発されたことを知る。
 この素材を使えば、 「軌道エレベータ」 を実現できるかも知れない。
 デブリ対策会議の後で翔一がアメリカ宇宙開発の大御所ロバート・バーナムに接したことから、このアイデアは思わぬ広がりを見せ始める。
 やがて軌道エレベータ構想は様々な個人や組織を巻き込み、事態は個人の夢と官僚国家、軍事大国、大企業とのぶつかり合いに発展する様相を呈し始めた……。

*              *              *

「まっすぐ天(そら)へ」。 著者:的場健、協力:金子隆一。 イブニング’03年15号から’04年8号に連載。 単行本は講談社,2004年。
 現代またはごく近い未来を描く最近の宇宙SFでは、スペース・デブリがちょっとした流行のように取り上げられているし、 「軌道エレベータ」 というのもすでにいろいろなSFで登場している。 しかしこの両者がこういう風に関わってくるとは、意表を突かれました。
 軌道エレベータって何、という方は是非この作品をお読み下さい。 それがいちばん手っ取り早くてしかも分かり易いです(^^)
「少なくとも2008年には人間をひとり、 (軌道エレベータで) 宇宙に送ってみせます!」
 MHK(笑)に出演した建二は宣言するが、一方で宇宙への 「架け橋」 はもはや一国の中でのみ進められる枠を超えていた。
「日本は軌道エレベータを本当に建てられるのですか?」
「……実質不可能でしょう。日本は素材も技術もありますが、建設にもっとも必要な外交能力に欠けています」

 いや、まったく。
 日本で軌道エレベータを造ろうと思ったら、総理大臣が先走って来るべき多国籍宇宙軍という名のアメリカ宇宙軍参加でも表明して、国内では宇宙開発企業が宇宙族議員に政治献金する体制をまず作ることになるんだろう……
 って冗談じゃねぇ。

 宇宙への夢におのれを賭ける物語としては、すでに本HPでも取り上げた 「夏のロケット」 などが典型的だが、 「夏のロケット」 は基本的にそんな 「困った組織」 とは最初から一線を画したスタンスで進んでいく 「困った人たち」 (笑) の物語である。 一方、本作ではその 「組織」 の中で主人公たちがもがく様が多くなっている。
 その一方で登場する 「偉大なる個人」、一人はアメリカ宇宙開発の大御所、ロバート・L・バーナム。 そしてアーサー・マインヘッド……この人、どう見ても実在の超有名なSF作家さんそのまんまじゃん(笑)。 こうした際だった 「個人」 が、主人公たちの 「夢」 を受け止め、導いていく。 やはり 「夢」 と 「組織」 は相容れないのであろうか?
 しかしながら、バーナムもまたアメリカの宇宙開発という巨大組織を引っ張った人物のはずである。 一般論として個人の夢と組織が相容れないというよりは、日本の組織の 「器」 の小ささ、軍事が絡むと意固地になるアメリカの融通のなさ、が問題なのであろう (それにしてもバーナムが翔一にいきなりプレゼンをさせるのはある意味ムチャですな。 これは個人と組織というよりは、日本とアメリカの風土の違いか)。
 それにしても……20世紀の宇宙開発は個人の手を離れ、国家をはじめとする巨大組織の手によって成し遂げられてきた。 良くも悪くも宇宙開発の牽引役であった巨大組織が、次世代の宇宙開発に対しては障壁となるのはずいぶんと皮肉な話である。
 しかしまるで軌道エレベータが実現するとロケットが完全にいらなくなる (だからJASDAなど既存の組織が猛反対する) と言ってるようにみえるんだけど、別に地球から打ち上げる必要がなくなるだけで、月や火星に行くにはやはりロケットが必要なんだけどなぁ?? 

 ある意味ネタばれになるので詳しくは書けないが、本書は 「現代」 を舞台にした物語としては、実に見事な大団円で終わっている。
 だが、本書は 「Vol.1」 となっており、最終ページも 「第1部/完」 となっている。 とすれば当然この続編が考えられるわけだが、ここから先は 「現代」 の物語とはなり得ないであろう。 現代には存在しない架空の新素材とかいったことよりは、現代における最大の障壁である 「国家」 をどう乗り越えていくか……。
 いきなりだが、かわぐちかいじ氏の 「沈黙の艦隊」 は、ベネット大統領が核廃絶と国境の撤廃を演説して幕を閉じた (このネタばれはいいですよね? ね?)。 「国境のない世界」 は実に魅力的な理想的世界だが、もしも 「沈黙の艦隊」 がそこまで描けば、それは 「現代」 を舞台とした物語ではなくなったであろう。 政軍分離から全世界投票に常識外れの保険契約、世界政府構想等々、とんでもないものがぞろぞろ飛び出して、いったいどう締めくくるんだ、と思わせた割にはずいぶん尻切れトンボな幕引きだと感じたものだが、 「現代」 を舞台とする限り、やむを得なかったのであろう。
 本作第1部のエンディングはこれに似ているような気がしてならない。 軌道エレベータの建設される世界は、ベネット大統領がうたった 「国境のない世界」 にも似た 「理想郷」 といえよう。
 要するに言いたいのは、本作の続編は第1部とは趣の違う、 「現代」 の延長線ではない、先の想像すら難しいストーリー展開になるだろう、ということだ。
「軌道エレベータが実現するのなら、それまで私は10年でも20年でも生き続けてやる!」
 アーサー・マインヘッドは翔一に熱く語る。
 現実問題としては、軌道エレベータの実現はまだまだ極めて困難であろう。せめて、本作の続編では実現までこぎつけてほしいものである。

 ところで一つ、忘れられているのか、あるいは故意に触れられていないのか……
 多くの場面でこれは飛騨翔一のアイデアである、と言ってるように見えるんだけど、よく考えてみたら大元のアイデアは弟の建二と土橋先輩がそれぞれ出したんじゃないのかな?
 最初の頃、翔一自身はこのアイデアには消極的だった。 しかし 「個人」 に導かれ、「組織」 と衝突する過程で、「自分の言葉で」 語り始める。
「今夜空を見上げてください。 あなたの国では、きれいな星空が見えますか?」
「遠い未来の話ではありません。 新しい世界はすぐそこまで来ているんです」
 翔一の言葉は 「組織」 も 「個人」 も超えたインターネットで世界中の人々に届けられる。アメリカ大統領まで見るんだから、考えてみればものすごいことですな、これは。
 「組織」 に残った土橋先輩の思いはどうであろうか。 ラストにちらりと描かれる土橋先輩や、名前は出ないんだが白い髪の元同僚 (結構いいキャラですな、この人)、建二の姿は、「それでもなお続いていく日常」 の象徴であると同時に、やはり既存の 「組織」 もいずれは軌道エレベータ建設に必要であることを示唆しているようにも思えてならない。続編でも彼らが活躍することを祈りたい。

2004.07.30