なつのロケット
 − ロケットは教育の壁を越えて −

 あさりよしとお著、初出:ヤングアニマル1999年16号〜22号。 単行本は加筆の上、2001年刊(白泉社)。
 タイトルから連想されるように、また著者のあさり氏自身が 「あとがき」 に記しているように、川端裕人氏小説 「夏のロケット」 に触発されて描かれたものだという。 「キレイな表現なら返歌、ミもフタもない言い方をすればパロディとして構想を立ち上げた」 のだそうな。
 小説 「夏のロケット」 は子ども時代の夢を大人になって実現しようとする物語だが、こちらの 「なつのロケット」 はその子ども時代に実現しようとするのだからすごい。 でもってここに登場するロケットは宇宙機エンジニアの野田篤司氏がきちんと設計検討したものだそうで、それもすごい。

 小学生 (5年生?) の北山泰斗たちは、藤根先生の理科の授業として、ペットボトルロケットを飛ばすことに熱中していた。 しかし一方では受験勉強の方が大事だとぬかす勢力もあって (小学生でかよ! やな世の中だねぇ)、おそらくその辺りが原因と思われるが、藤根先生は学校を辞めるらしい。 それを知った北山たちは、先生のやり方が間違っていないことを示そうと、本物のロケットを作ろうとするが……。

 実際のところ、先生の辞職阻止とロケットを飛ばすこととはずいぶん飛躍した感があるし効果も少々疑問ではあるが、まぁそこは子どもらしい発想というところだろうか。
 それにしても、主人公の北山も傾向はあるが、三浦ってのも意地のワルイ性格やね。 北山の場合は一種の子どもらしさとして理解可能なんだけど、三浦はやたら絡んだり変にカッコつけたり、何を考えているのかどうもよく分からない。 子どもの性格じゃあないね。 微妙なとこだけど、ワタクシ的には減点対象かな。 いくら子どもとはいえ、そこまでケンカささんでもええじゃろうに。
 おまけにさらに性格ワリィ上野という脇役も登場するけど、これは親の責任だな。 いくら良い成績を取ろうが、そーゆーことを言ってるようでは親の人格が疑われるぞ。 将来きっとロクな大人にならねぇぞ、と上野の親には声を大にして言ってやりたい (こーゆー親に限って馬耳東風だろうけど)。
 子ども達の中では岡谷内 (おかやうち。かなり珍しい姓だと思うけど、著者あさり氏の小学校時代の同級生にいたそうな。 ちなみに三人組の中では背の高い、髪の短めなコね) がいちばん人格的に安定していて、見ていてほっとする。 まわりが成功ばっか考える中で、失敗した場合とか違った考え方を提示できる辺り、若干イヤミな面もあるけど、近頃の大人どもよりもはるかに立派ですな (会社組織ではねー、成功を盲信して突き進ませて、失敗したらどうするか考えもしないオッサンが結構いるのよ)。

 一方、主人公たちの慕う藤根先生、ええ先生やねぇ (しみじみ)。 お友達になりたいデスね、ほんと。 あさり氏の科学の恩師がモデルになっているらしい。 その先生は 「馬面、出っ歯&カリアゲのおっさん」 だったそうだけど、マンガのような女性だったら最高ですな (← 何を言ってやがる)。 まー目の前でいきなり爆薬の実験されたら引くだろうけど(笑)。
 だけど有毒ガスが発生することを実験やった時点で教えなかったのはいけませんな。 ストーリーの展開上作者がそうしたというのは分かるんだけど……。

 著者あさり氏がどこまで意図されたのかは分からないが、本作は現代教育への疑問・批判も大きな柱の一つとなっていることは確かだろう。
 何しろ学校教育では算数が 「1」 の辺島 (へじま。でもって綽名がヘチマ) が、ロケットを打ち上げる方程式を解いてしまうのだから。 驚く北山に、辺島はこう答える。

「でも……テストじゃ電卓使わせてくれないし……」

 そう、本当に大切なことは、電卓の真似をすることではない
 藤根先生の辞職というのも、その現代教育への疑問・批判の一つなのだろう。 ただし、実際のところ藤根先生の事情は最後まではっきりとは分からない。
 考えてみると、藤根先生の事情だけでなく、三浦も謎だらけである。 なぜそんなに意地がワリィのか? (偽悪趣味?) とゆーのはおいといても(笑)、なぜそんなにロケットに詳しいのか? そもそも彼の場合はなぜロケットを作ろうとしたのか? 木下さんとの関係は? そしてなぜいなくなったのか? (なんかただフツーに引っ越しただけとも思えない気もするし)
 ここらへんがごそっと抜け落ちているのが少々不満ではあるが、本作のほとんどが主人公北山の一人称の視点で描かれているためなのかもしれない。

 しかし、一方で小学生の視点では収まらない側面もある。
 なぜ辞めるのか訊く北山に、藤根先生が答える言葉。

「世の中はな、何かすれば必ずそれにしっぺ返しが来るんだよ。 何でもやりたいことを自由にやれるわけじゃない。 責任ってのがついてくるんだ。 もしも辛いことがイヤならば、自分からは何もしないこと − 人に言われたことを黙ってやってりゃいいんだ」
「痛い目をみながら自分のやりたいことをやるのと、他人にやらされていることだけをやって、それで何かしたと満足するのと……おまえはどっちだ?」


 あいたたたた……み、耳が痛いよぅ。
 このあと先生自身が言ってるように、小学生には難しすぎる言葉かも知れない。 小学生の一人称的視点で描かれる一方、この言葉は、北山にというよりは読者へ投げかけられたものなのだろう。
 技術的・経済的な話は別としても、現代教育のもと素直に受験勉強をしていては、恐らくこのロケットは飛びたたない……(それが良いか悪いかは単純に即断できないところであるが……)。 実は小説 「夏のロケット」 でも、現在の法律下では困難であること、ゆえに登場人物たちが危なっかしい選択を迫られる部分がある。 子どもと大人の違いだけで、問題の根底は同じようにも思えてくる。
 小学生の一夏をかけた夢という切なさと、現代教育の抱える問題というもどかしさが、本作でも複雑に同居している。

 私個人が小説 「夏のロケット」 で特に素晴らしいと思うのは、一発打ち上げて 「ヨカッタヨカッタ」 で終わらずに、さらにその先の夢へ向けて進んで行こうとする点である。 本作 「なつのロケット」 にはそういう部分はないが、何しろまだまだ無限で未知の未来を有する小学生のこと、きっと未来につなげていってくれるものと信じたい。

2003.05.28