映画「日本沈没」(2006年版) −ハリウッド映画ですか、これ??−
2006年に公開された 「日本沈没」 ……私はてっきりかの 「日本沈没」 (1973年) のリメイクだと思ってたんですが、見終った時には
「アルマゲドン」 の日本版リメイクかと思ってしまいました……。
原作 「日本沈没」 は、人類が太刀打ちできない大災害に直面しても、それぞれに努力を続ける組織、大衆、個人の物語でした。
この映画版はいかがでしょう? 原作のテイストを引き継ぐ数少ない主要キャラである山本首相
(あー、小泉首相に似せてる ^^) をさっさと退場させ、原作では良い味の野崎さんをわざわざ悪役に仕立て上げて、あげく日本政府はさっさと国民を見捨てる。
そして結局は、個人を英雄に仕立てたヒーロー物語にしてしまった。
この映画の監督さんか脚本家さんは、組織が嫌いなんですかね。
日本政府を信じてないんですね。 おまけに原作にないパニックをわざわざ民衆に起こさせ、しつこく描写して……つまり、一般大衆も信じてないんですね。
まぁ確かに、現実にはそうだろう……現実に起こったら政府は国民を見捨て、民衆はパニックを引き起こすだろう、という意見もあるでしょう。
しかし、それをわざわざフィクションで描く必要はどこにあるのか?? 「日本沈没」
という非日常を持ち込んでまで、そーいう現実を見せつけること、が、このフィクションの目的なんでしょうか?
そもそも、ストーリー上なぜ政府は国民を見捨てたのか?
はっきり言って、それは小野寺を英雄に仕立て上げるためだった。
おまけに実際何ものなのかよく分からない、つまり
「顔のない」 技術 (N2爆弾) に頼った、安易な解決。
この設定だと、たとえどんな英雄がいたところで、この爆弾がなければ解決しないわけです。(逆にいえば、原作や1973年版映画はそんな爆弾に頼らず人間を描いた、と言えるでしょう)
海外へ流出した国宝 (原作では海外へ脱出した日本人の未来のためという
(建前かも知れないけど) 深い意味があって考えさせられましたが、この映画ではありきたりな政治家の賄賂に格下げされてましたなぁ)
がどうなるかは分からないけど、さっさと逃げだした政治家連中は何の反省もなく帰ってきて、いずれはなーんも変わらない世の中に戻していくんでしょうね。
そうそう、さっさと逃げだした政治家連中といえば、私だったらそいつらの乗った飛行機を墜落させただろうな。
原作が描き出したのは、予想もしなかったそれまでとまったく違った状態 (=日本そのものの消失) が続いていくことに直面した人々であり、世の中でした。 ところが本作では
「日本沈没」 をアメリカがさっさと感知してしまい、まるで既定の事実のように扱われます。
そして違った状態になりかけたのを強引にもとに戻して、めでたしめでたし。
結局、原作の 「まったく違った状態への移行」
と本映画の 「元に戻してめでたしめでたし」、そこがもっとも感じる違いであり、違和感のような気がします。
N2爆弾というのが何ものなのかはよく分かりませんが、ともかく爆弾でプレートを引きちぎってやれば……という理屈は分かります
(本当に物理的にできるかどうかはともかく)。
しかしドカンとやると、それだけで各地で起こりつつあった異常があっという間にすーっとおさまる、というのはどうでしょう?? これも、海外のSFもどき映画を彷彿とさせますね。
本作は 「首都壊滅」 とか 「列島大地震」
(テキトーに考えた名前ですが、すでにあるかも?)
みたいなタイトルでもまったく問題ない内容です。
「日本沈没」 である必要はほとんどない。 現実に危惧される第二次関東大震災や東海地震を防ぐために、プレートに何か打ち込んで……なーんて映画でも面白くなるのでは?
ま、山本首相の 「日本人である前に人間として生まれてきた」
なんてのは名言ですし、映像的にもなかなかのものはあるかと思います。
原作を知らない人なら 「こんなもの」 としてそれなりに楽しめるでしょうが、原作を知ってる者からすれば、いささか不満な内容でした。
同じ樋口監督の 「ローレライ」 はそれなりに楽しめたのですが、小説版と比べるととんでもなく改変されていたそうです。ということは、小説版を知らなかったから楽しめたのかも知れません。
樋口監督、今度はどうか原作なしのオリジナル作品を撮ってください。
2006.7.25